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電気新聞「時評」ベント

平成24年10月2日
前日本原子力技術協会最高顧問
石川 迪夫

ベント、吐き出し口のことだが、技術用語なので広辞苑には出てない。近頃著名になったのは、今回の事故で格納容器のベントが思うように開かず、結果として水素爆発を招来したからだ。

今回事故のように冷却が出来ないと、原子炉は停止しても、炉心に残る崩壊熱で温度圧力は上昇する。と、安全弁が開いて蒸気を格納容器に噴き出し、原子炉の過圧を防止する。

格納容器は事故時の放射能を閉じ込めるのが役目の密閉容器だ。噴出した蒸気は外には出ない。中に溜まって、格納容器自体の圧力を高める。

これが想定内の事故であれば、自然放熱や冷却設備によって蒸気が水に帰るので、格納容器の圧力はさほど高くならない。

だが今回は10日間も停電が続いた。冷却設備は動かず自然放熱も限界に達して、格納容器の圧力は8気圧程にもなった。こうなると格納容器自体が持たない。弱い部分が割れたり裂けたりして、そこから無制御に放射能が出る。これはいけない。風向きをみてベントを開閉し、格納容器の圧力を計画的に抜く方がまだ良い。これが緊急時ベントの役目だ。

緊急時とはいえ、放射能を外に出すのは原子力関係者としては最もやりたくない仕事だ。ベントをめぐっての逡巡は、現場も、官邸も、ここに発している。

1号機のベント弁がやっと開いたのは、爆発1時間前だ。データーを見ると、格納容器の減圧は急でベント成功と見えたが、手遅れだった。既に水素は漏れ出て原子炉建屋に溜まっていた。開始が遅れ、作業ももたついたからだ。

2号機は、弁は開いたが、配管に挟んだ破裂板が破れず、ベント出来なかった。そのためであろうか、3月15日早朝、格納容器に破れが生じ、以降の高放射能汚染の因となった。

3号機は、13日以降ベントを何回か実施して、格納容器減圧に成功している。機材不足の中での凱歌だったが、直流電源が枯渇して冷却系が停止し、炉心溶融が始まるまでの間だった。水素発生のスピードは猛烈だ。格納容器から水素が漏れ爆発に至った。

残念ながら、事故の最中に悪戦苦闘したベントは、結果的には奏功しなかった。炉心冷却も、水素爆発の防止も出来なかった。

ところで、先日公開された事故時のテレビ会議映像録を読むと、発電所長の狙いは、安全弁とベントを使って原子炉圧力を抜き、消防ポンプで注水する所に有ったらしい。マニュアルにはないが、緊急時の乾坤一擲の試行である。

この狙いがあるなら、なぜ現場は一途にベントを実施しなかったのか。原子力安全委員長がゴテようが、総理が来ようが、戦場に逡巡は無用だった。

結果は神のみぞ知るだが、もしベントが早期に実施され、格納容器からの水素が抜け出れば、1号機の爆発は回避されたかもしれない。2,3号炉への影響、対応もまた異なったろう。当初の逡巡、悔やまれて余りある。

爆発はあったが、1,3号機の格納容器の気密はほぼ保たれており、放射能はベントを通じて外に出ている。ベントは、格納容器の底にある深さ3米ほどの水溜まりを通って出るので、放射能が洗い落とされて濃度が薄くなる。だが2号機は、格納容器の破れから直接出るので、放射能は濃い。

その差がどれほどか。3月15日の2号機格納容器の破損以降、発電所敷地境界の汚染線量は、数μSv/時から数百μSv/時へと、一挙に増大した。この事実から見て、水を通り抜けたベントの除染効果は、目の子で百分の1ほどと言える。逆に破裂板の挿入、罪は重い。

ついでながら、昨今のセシウム放出量は約0.1億ベクレル/時、最悪時(昨3月15日)の1億分の1にまで下がっている。

以上