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電気新聞「時評」事故調査報告書、様々

平成24年8月9日
日本原子力技術協会最高顧問
石川 迪夫

福島第一発電所の事故についての、政府、国会両事故調の報告書が出た。数が多いので、以下略称で済ませるが、民間事故調、東電、安全保安院、原子力技術協会の報告書があり、他にIAEAへの政府報告、大前研一チーム報告など、雨後の竹の子ほどもある。斜めに読むだけでも大変だ。

これら報告書の目的、内容見解、結論提言は実に様々で、拳拳服膺する方は大変だ。物によっては判断が正反対のものも有るから、真面目に従えば心身症になる。

外国の報告書類も多い。主な物を挙げれば、米規制委員会(NRC)、原子力学会(ANS)、機械学会(ASME)、原子力運転協会(INPO)、英規制局(ONR)仏安全規制機関(ASN)などだ。

これらの報告書は概ね冷静で、事故事実と問題点を淡々と述べ、自国の原子力発電所への影響、改善補強の説明などを行っている。ASMEのように原子力安全の新概念を提案した書もある。

書き方も違っている。事故を、津波災害全体の中での被害の一つとして捕らえ、その最中での発電所員の献身的活動を称えた記述もある。当事者でないから客観的に書けるのであろう。

これに対し日本の報告書は、折角データを持ちながら、真正面からの技術検討が少なく、背後要因ばかり追いかけて、全体に技術報告書として見劣りがする。

国会事故調の報告書は、官邸の過剰介入、規制の機能不全など、一般には言えないことを指摘しているので世評はよい。だが些細な事柄に拘泥して大筋を見誤り、事故調査報告としての品格を下げてしまった。牽強付会な強引さも、所々に目立つ。

「規制は事業者の虜」は、40年この方両者の関係を眺めてきた僕には頷けない。事実はむしろ逆だろう。その虜を梃にして、主原因は「人災」と決めつけるのは論理の飛躍だ。人災は存在するが、二次的な原因だ。津波がなければ事故は起きていない。

直接原因を津波だけにせず、地震に未練を残したのも不可解だ。津波が来襲するまでの約45分間、発電所は整斉と停止冷却工程に入っていた。地震による異常は何ら報告されていない。この点は政府事故調の結論も同じだ。何の証拠もなしに犯人に仕立てるのと同じだ。折角の勇気ある報告書全体が、技術的推敲の不備で、眉唾の目で見られるのは惜しい。報告書でいう「虜」になる状況が委員会の内にあるのかと、勘ぐられても仕方があるまい。

政府事故調の最終報告書は、中間報告書の追補だとある。委員長の所感はマスコミの評判が上々だ。概要も多くが納得できる。だが本文は、発電所設備の解説や事故日報の集積の様で、事故報告書としての体裁をなしていない。中間報告書は、パブコメに即した手直しも必要であろう。政府報告書である、日本国の名に恥じない体裁に整えられるものと信じる。

民間事故調は早い時期に、国民の知りたい事故情報のあらましを出版された。ベストセラーにもなったとか、もう充分その役目を果たしたと言えよう。

国内報告書のうち、事故データの検証、吟味、分析など事故評価に関しては、東電報告書が最も信頼できる。だが当事者だ。我が身を守る遠慮が内在するところは有ろう。筆の迫力に欠ける。

総じて日本の報告書は、外国に較べて分厚く、人目を引く言葉で綴られてはいるが、技術的な深みがない。例えば危機管理の不足を叫びながら、国としての緊急時システム構築への具体的提案が、いずれの報告書にもない。

既に事故発生以降約一年半が過ぎた。報告書間の技術的な不整合部分を克服し、それを踏まえた改善策を記した日本国報告を世界に発信し、国際的な疑念といらだちを払拭するよう努めて欲しい。

以上