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電気新聞「時評」原子炉隔離時冷却系-RCIC

平成24年6月27日
日本原子力技術協会最高顧問
石川 迪夫

福島の事故は,電気を失って生じ、電気が戻って終息に向かった。電気のない間に、炉心溶融、水素爆発、放射能放出などの、世界を驚愕に巻き込んだ災禍がみな起きた。放射能避難もこの時だ。

3月20日に仮設電源が敷設されると、暗闇から開放された作業は活発となり、発電所の状況は徐々に安定し始めた。6月からの循環注水ラインの運転で、格納容器内での沸騰は停止し、放射能の放出が大幅に低減した。事故直後に800兆Bq/hrを記録したセシウム放出量は、今や0.1億Bq/hrと約1億分の1に減少している。

事態が沈静化に向かったのは電気が回復したお陰だ。現代社会は電気なしでは何も動かない。福島の事故は、電気の重要さと、電気がない悲惨さを、共に示す具体例でもある。この6月8日、大飯原発再開をめぐって野田総理はテレビの前に立ち、国民生活を守るために原子力発電は必要と明言された。当然の判断とはいえ、脱原子力の声が高い今日、勇気ある発言だ。総理に敬意と謝意を表したい。これで日本は救われる。

ところで、事故直後の電気のない状況下でも安全設備が働き、2,3号機の炉心冷却が長時間続いていたことは余り知られていない。その主役が表題のRCICで、この働きの相違が爆発時刻の違いとなって現れている。

RCICとは、蒸気タービン駆動のポンプで格納容器の中に蓄えた溜水を原子炉に注入する安全設備である。駆動用の蒸気は炉心にある放射能のエネルギー(崩壊熱)が作って呉れる。従って、今回のように電源喪失時でも原子炉は冷せる。炉心を溶かす崩壊熱でポンプを動かすのは、毒を持って毒を制する発想で、電気が復旧するまでの8時間を念頭に設計してある。この設計は全世界ほぼ共通であるから、今回の事故での10日間の停電は、全世界が犯した想定外と言える。

さてこのRCIC、2号機では津波による直流電源喪失の直前に起動していたので、電源喪失後もそのまま動き続けた。制御なしで3日も頑張った。残されたデーターから、水混じりの劣悪な蒸気がタービンを回し、注水を続けたと見られる。タービンの停止は、羽の破損か蒸気圧力の低下か、まだ推測の域を出ない。

3号機は、直流電源が生き残っていた。従って、RCICは津波の後でも正常に運転できた。その代わり運転時間は、バッテリーの寿命に支配されて、1日ほどで終わった。その後3号炉は、溶融、爆発に至っている。

敷衍すれば、バッテリーに余裕があれば3号炉の溶融は防げた。2号機のタービンは、電気の制御なしに、自力で3日間も働いた。安全設備は奮闘してくれたのだ。もし計画通り、8時間以内に電気が復旧していれば、二つの原子炉は災害に至らなかったろう。

この点はきちんと評価すべきで、福島の事故では、安全設備は設計通り働き、予期以上の成果を果たしている。我々は今ある安全設備に自信を持って良い。現行の安全設計方針にも咎はない。

いくら勝れた設備でも、補給が途絶えては、働きはとまる。前大戦での、アッツ、サイパン、硫黄島などの島嶼守備隊が玉砕したのは、補給がなかったからだ。兵が弱かったからではない。これと同じで、10日も停電が続いたことが、津波被害を事故に変えた。ここが反省点の一つだ。

と考えると、今後の原子力安全の向上は、設計を凌駕する想定外の事態に備えて、災害の緩和を図る緊急時活動が行えるような、人の訓練と兵站の準備にある。

兵站の準備は、発電所ごとに立地上の特徴が異なる以上、安全設計のように同一のルールで規制されるべきものではない。発電所の特性に応じて準備し、日本全体として万全を期すことだ。

以上