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電気新聞「時評」非常用復水器・・・IC

平成24年5月8日
日本原子力技術協会最高顧問
石川 迪夫

トランジスター集積回路の略称ICが、福島事故以来、緊急時の原子炉冷却装置を指す言葉としても使われだした。

ICとは非常用復水器の英文名の頭文字で、その構造は、格納容器の外側にあるタンクの水が、チューブを介して原子炉の蒸気を冷やすもので、蒸気は水に戻って原子炉に帰る。自然の作用を利用した安全設備で、初期のBWRで採用されていた。

欠点は、自然の循環であるため積極的な冷却が行えない点で、安全設計の高度化につれて廃れた。このIC、原研の動力試験炉(JPDR)にもあった。最初の冷え方が激しく、冷却速度は制限値の数倍もあったという。

福島でも、作動直後の冷却状況が制限値をこえたので、手動でICを停めた。この操作が緊急冷却の失敗原因としてマスコミで非難されたが、これは間違いだ。

始動直後は、タンクの温度が低いのでよく冷える。加えてチューブの中に復水が溜まっているから、冷たい水が一挙に入って、圧力容器の冷却制限速度を越える。

ところで、原子炉圧力容器の温度は蒸気とほぼ同じで、300度Cに近い。ここに冷たい水塊が入ると、容器の局部が急に冷やされる。冷えた表面は縮もうとするが、暖かい容器全体は縮めないから、ここに不具合(力)が生じる。この力が大きいと、分厚い容器にはひびや割れが出来る。これは嫌だから、制限速度を設けてゆっくりと冷やす。

地震の直後に、大津波がきて事故が起きるとは、誰も思はない。ICの起動に、冷却速度を監視して弁を操作したのは当然だ。 

問題はその後、津波の来襲後だ。電源喪失でフェイルセーフ設計の弁が自動的に閉じて、ICの冷却が不能になった。

政府の事故調査検証委員会の中間報告書によれば、18時頃、一時的な直流電源の回復があり、IC操作が可能と気付いた当直は弁を開いたが、冷え方が弱いので弁を再び閉じたという。一方、別建家に居た対策本部は、ICは作動し続けていると誤認していた。

この認識の食い違いが、代替注水やベントの実施を遅らせ、1号炉の災害を拡大させた要因と見たのか、報告書は34ページにもわたってICを論じている。

認識違いは存在したであろう。だが、ベントの遅延は住民避難の状況確認と菅さんの現地訪問が主因だし、代替注水は担当者が別だ。報告書はICに問題をしわ寄せし過ぎている。その結果、事故の全体展望にバランスを欠き、検証に凹凸が見られる。加えて、災害現場への理解が少なく、机上での判断に偏る嫌いがある。

暗闇、無信号、余震、瓦礫、津波に蹂躙され、電気を失った徒手空拳の現場で、何を間違いなく成し得たであろうか。

東電の現場関係者達は、記憶違いや証言の齟齬を恐れて、当時を語らない。偽証との批判が怖いのだ。僕のような原子力関係者は、菅首相の意志で除外され、手助けは出来ない。その結果、事故究明は隔靴掻痒、明快に進まない。

「兵馬進まず人語らず」は乃木大将の詩、大局展望に欠けた旅順苦戦の述懐だ。原子力が「斜陽に立つ」のは致し方ないとして、日本の技術が「山川草木うたた荒涼」と曲解非難されぬよう、検証は大局を見据えて欲しい。

閑話休題。なぜフェイルセーフでICを停めるのか。チューブが破れると、放射能を帯びた蒸気が外に出る。その防止で隔離弁が閉じた。閉じれば冷却は失われる。

二律背反の選択だが、閉じる方を優先させた。狭い国土の日本、放射能事故は避けたい、この思いが強すぎた。

難問だが、「閉じ込める」は「冷やす」の後の順位、思いが強すぎて技術論理を優先した結果の失敗とも言える。

以上