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電気新聞「時評」水素爆発・・・考

平成24年3月12日
日本原子力技術協会最高顧問
石川 迪夫

炉心溶融が起きたTMI、チェルノブイリの両事故にも、水素爆発は起きた。その様相を、福島と比較して眺めてみよう。

先ずは爆発時刻。大きな差がある。チェルノブイリの爆発は事故発生直後、数分以内だ。だが、TMIは約10時間後、福島1号はほぼ一日後、3号に至っては3日後の爆発だ。この時間差は、炉心溶融の時刻差と見てよい。

燃料被覆管のジルカロイは、高温になると水と反応して、水素と熱を発生する。反応が激しくなると、この熱で炉心は溶融する。大爆発を起こした水素の存在は、炉心溶融の証拠でもあるのだ。

TMIの爆発は、格納容器の中で起きた。関与した水素量は、被覆管の50~60%が反応した量というから、福島とほぼ同じと見てよい。外部への影響がなかったのは、PWR特有の、大きな格納容器の容積が利したと言われている。

爆発で放射能が飛び散ったらとの心配は、何処も同じだ。不安の声に押された州知事が、自主避難勧告を出したのが3日後のこと、爆発はとっくに済んでいた。笑えない、笑い話だ。

実は、運転員は爆発音を聞いたが、ダンパーが閉まる音と誤認していた。この誤認が、約16万人に及ぶ避難を生んだ。

チェルノブイリの爆発は、発電所の方々で起きた。配管が各所で破裂したからだ。その最大が炉上面での爆発だ。直径17メートル、重量1600トンもの遮蔽盤が、炉上で空中回転した。

この結果、原子炉上面が大気に曝され、炉心黒鉛に火が点いた。火災気流で上空に運ばれた放射能が、ジェット気流に乗って世界各地を汚染した。チェルノブイリの爆発は、災害拡大に大きく関わっている。ここがTMIとの違いだ。福島はこの判定が難しい。

そもそもBWRの格納容器は小さいので、爆発がないよう内部を窒素雰囲気に置換している。だから福島の爆発は、格納容器の外、酸素のある原子炉建家で起きた。格納容器外での爆発だから、中の原子炉施設にも、放射能放出にも影響は少なかった。ただしこの判断は、1号炉に関してのみ言えることである。

その頃、福島の現場では、生き残った2号炉の電源盤に電源車を繋ぎ込み、2,3号炉に注水するべく、突貫工事を終えた所であった。爆発はこの時起きた。ホースも電源車も、一瞬にして損傷した。1号炉の爆発が無ければ、2,3号炉の炉心溶融は避け得たかもしれない。この検証は、事故調査検証委員会に委ねよう。

1号炉の爆発は、お隣の2号炉のブローアウトパネルを吹っ飛ばして、原子炉建家に風穴を空けた。この穴を通って、水素は建家から出ていった。炉心溶融にもかかわらず爆発がなかったのは、この故だ。2号炉は幸運であった。

BWRの格納容器は小さい。この弱点を補うために原子炉建家を半密閉構造とし、第5の放射能防護壁と名付けた。その名に恥じぬよう、原子炉建家を頑丈に造った。これが仇となった。

頑丈な分、爆発は強烈なものとなった。映像で見る限り,3号炉は梁も柱も衝撃力で壊れている。爆発ではなく爆轟であろう。窓でもあれば、爆発はガラスを破る程度で収まった筈だ。

頑丈な分、充満した水素で建家内の圧力も高まった。その圧力で、押し出された水素が、お隣に逆流して爆発を起した。排気ダクトの接続部分を通じてと言う。停止中の4号炉が爆発したのは、3号炉の側杖であった。

眺めてきたように、一口に水素爆発と言っても、その様相は実に様々だ。側杖を食らったり、爆発を免れたり、紙一重の運不運が明暗を分ける所は、世の人生模様に似ている。ここがヒントだ。

水素爆発の防止方法は、こせこせと名称にこだわらず、幸運招来の風穴を大きく開けるに限る。

以上