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電気新聞「時評」事故翌年の年賀状

平成24年1月18日
日本原子力技術協会最高顧問
石川 迪夫

原子力事故の余韻が強く残る今年の年賀状は、安全への決意表明と電力エネルギー問題の二色に端書きが分かれていた。

前者は原子力関係者からのものが多く、真面目な反省調で書かれている。後者は友人知人の類からで、ほとんどが原子力の挫折によるエネルギー問題を心配し、日本の将来を憂えていた。

その多くは、マスコミが合奏する原子力葬送曲に違和感を覚え、脱原子力の風潮を憂うる声だ。エネルギー問題を人が生きていく上での最重要課題と捕らえ、僕に問いかけている。

エネルギー問題は食糧問題と考えれば良い。その理由は単位が同じであることで、物理的には両者は同じ物である。電気のKW時は食糧のカロリーに換算できる。円もドルも共にお金だから、換算できるのと同じ理屈だ。

僕の年代は、戦中戦後の食糧難時代に育ったから、食糧危機には敏感だ。食うや食わずの体験が、原子力の挫折から食糧危機を連想し、日本の将来を心配する。悲惨な人生体験が示唆する直感、正しいであろう。

同種の感覚が、海外にも生まれている。人口増大に悩むアジア各国、砂漠の貧困から脱出した中東石油産出諸国が、日本の原発を購入希望する動機がそれだ。

ベトナム、トルコ、インド、サウジなどが、日本の原発に頼る国作りを目指している。狙いはエネルギーの安定確保にある。

世界で最も高価と言われる日本の原発に引合いが来るのは、安全性に信頼が置けるからだ。その信頼は事故直後に揺らいだが、最近また回復しているという。

災害直後の3月21日、英国ガーデアン紙は「数万人が死亡した自然災害に遭いながら、死に至る放射線を与えていない。私は原子力支持者になった」と書いた。

この記事と共通の思いが、事故状況の落ち着きにつれて、外国の指導者に再び芽生え始めたのだ。

福島はチェルノブイリと違って汚染範囲は狭いし、死者はゼロだ。電源が失われても、崩壊熱で動く安全設備は設計通り働き、炉心冷却を続けた。格納容器は水素爆発にも耐え、今日なお放射能の放散を阻む役割を果たしている。軽水炉の安全性は高い。

もし米国と同じように、非常用電源設備の補強を施していたら、福島の炉心は溶融に至らなかったのではないか。そんな推測までも出始めている。

実際、テロ対策として非常用電源設備を補強した米国のブラウンズフェリー発電所は、昨年4月アラバマ州で起きた竜巻で、4日間にわたり外部電源から遮断されたが、冷温停止を達成した。

軽水炉の安全性は額面通り受け止めて良い、福島の事故は防災対策に問題があった、との見方が広まっている。事故は今、世界では冷静に評価され始めている。

海外からの原発購入の希望は、この具体的表明だ。だが、頼られる日本の世論は、前述の如く、冷静さとはほど遠い。内外の原子力事情、将に正反対である。

「日本で使えない原発を輸出する」と、反対派の声は挙がる。野田総理は「日本の優れた技術を海外に提供する」と毅然と応えられたが、内情は辛く苦しい。日本の原子力はいま、心身症状態にある。

心身症は難病、気長に治すのが肝要だ。国内事情である電力供給問題の解決が心の問題とすれば、原発輸出は体力の温存手段である。共に日本の大問題であるから、国力の許す限りゆっくりと、検証しながら治療を進めるべきであろう。性急な薬剤投与は、時により有害となる。

敗戦日本を経済大国に復活させた昔の欠食児童達は、年賀状で原子力の挫折による国の衰退を心配してきた。平和で飽食の時代に育った若者たちは心身症の処方箋をどう書くのか。それにより日本の興廃は決まる。

以上