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電気新聞「時評」福島第一原子力発電所-廃炉への道筋

平成23年9月28日
日本原子力技術協会最高顧問
石川 迪夫

お盆が過ぎたら、福島の話題は補償問題に移っていた。合わせて、気の早いことに、廃炉の話しが出始めた。事態が落ち着いて来た証拠であろう。

東京電力の発表では、格納容器に水を満たして、溶融燃料を取り出すという。スリーマイル島発電所(TMI)事故の後始末に倣って、溶融炉心を砕いて容器に収納する目論見なのであろう。

TMIの炉心撤去工事は、事故から6年ほど後に始まっている。炉心の位置、状況を確かめて、十分な準備の下での実施だった。いま、溶融した燃料はアイダホの国立研究所に収納保管されており、格納容器内部の汚染除去工事も完了したと聞いている。

廃炉工事の実績は、我が国も負けない。日本原子力研究所の動力試験炉(JPDR)解体撤去工事がそれで、世界最初の廃炉工事であった米国シッピングポート発電所と雁行して,開拓者として遂行している。互いに未経験の工事であったから、競争と言うより、協力しあって進めた。裏話がある。

当時米国では、廃炉費用の予測について激しい対立があり、楽観論と悲観論では数百倍の差があり、それが原子力推進反対の理由の一つでもあった。そこに割り込んだのがJPDRで、予算も被曝線量予想も、シッピングポートのそれと大差がなかった。これが、パートナーとして歓迎された理由だった。いずれも1990年代前半までに無事工事を完了し、世界の廃炉の基礎を築いた。

この流れを引き継いだ民間研究団体が、原子力デコミッショニング研究会である。

溶融炉心を内蔵する福島の廃炉工事は、放射線が強く汚染は激しく、難しい。だが、放射性物質を除去して昔に戻すという、廃炉工事の本質に変わりはない。TMIの前例があり、JPDRの経験もある。よく勉強して無駄のない計画を作ることが第一だ。急ぐ必要はない。

一つ釘を差しておく。現場での手直しは工事の鉄則だ。まして難工事の福島、計画の手直し、変更はザラに出よう。これを工事認可などと称して、一々、時間のかかる役所仕事の種にしてはならない。現場は生き物、潮時を逸すれば、労が増す。

この釘は、福島事故の教訓でもある。ここ10年の煩雑な安全行政は、福島の事故防止上、何程の役に立ったか。役立つどころか、事故直後の現場活動の不手際や遅滞の根っこに、細かい役所のペーパー規制が存在する。煩雑で小うるさい机上の規制が現場経験を軽んじさせ、職員から安全意欲を奪っていた。廃炉工事にこの轍を踏ませてはならない。

福島の廃炉工事の開始は早くとも数年後であろう。完了には数十年を要しよう。その間、高い意識での発電所管理が求められるが、それには意欲の湧く仕事が必要だ。

高い放射線環境は、一般庶民には迷惑であるが、研究者にとっては得難い研究フィールドである。これを利用し、陸と海に一定範囲の放射能特区を作って、放射能研究所とする案はどうであろうか。

宇宙ステーションのように各国から研究テーマを募って、原子力に限らず森羅万象全てについて、自由な研究を国際協力の下で実施するのだ。発電所の安全管理は、この研究所の下で行わせればよい。

この研究所の利点は少なくとも三つある。森羅万象への放射線影響が実地に分かること、事故究明が国際的に進むこと、実情が研究者を通じて母国語で世界に伝達されることである。これにより、情報を出さないと言う、日本への批判も和らげよう。

副次的効果として、原子力活動を進める上での、日本の国際的な発言力が増すことがある。

更に、多くの外国研究者が集まることで、被災地の活性化に繋がれば、より嬉しい。

以上